この世界に、おかえりはない
あらすじ
この世界には、おにぎりがない。 電車も、花火も、「おかえり」と言ってくれる母も。
異世界に飛ばされて三年。辺境の町で薬草師として暮らす美咲は、日本への帰り方を見つけられないまま、薄れていく記憶に怯えていた。 母の顔がぼやける。花火の音が遠くなる。忘れたくない 。でも忘れていく。
ある日、店に現れたのは放浪の魔術師エルド。姓もない。故郷もない。家族もいない。「帰る場所」という概念すら知らない男。
帰れない場所がある私と、帰る場所がない彼。 二つの空白は、似ているようで全く違った。
彼に「ただいま」という日本語を教えた夜。 正確な発音で繰り返す彼に、三年分の涙が溢れた。
「その言葉の対は何だ」 「──おかえり。帰ってきたんだね、という意味」 「誰が言う?」 「家で……待っている人が」
旅立ちの前夜。寂しさの堤防が壊れた。 泣きながら手を伸ばした私に、帰る場所を知らない彼が応えた。
おにぎりは、まだない。 でも──「ただいま」と「おかえり」がある。